2009.07.26 Sunday
文化的なものとは
文化的なもの、美術やスポーツ、芸能などは、
「感情(主に幸福方面)のホルモン」をわざと分泌させる為に
人間が工夫を凝らして開発してきたものだと言えるのではないだろうか。
例えば、「恐怖」は、その個体が死なないための感情だ。
そしてその恐怖を乗り越えたあと、「自分はまだ生きてる」という、えも言われぬ幸福感に包まれる。
ただ、毎回リアルに死の恐怖に直面するわけにはいかないので、それをなんとか疑似体験するために、「恐怖映画」が存在する。
狩りで獲物を倒す疑似体験としてスポーツやゲームがあるし、
悲しみの疑似体験のためにドラマや芝居がある。
もう少し動物寄りのものとして、音楽というのも持っている。
これらの「疑似体験」を開発し、体験して楽しむ余裕がある、というのが人間と言うものの1つの特徴かもしれませんね。
2009.05.13 Wednesday
人間は、デザインするサルである
デザインとは何か、
デザインとは人間だけのものか?
そもそも動物と人間は違うのか?
人間社会を特別なものとして捉えず、
いち自然現象として捉えると、いろいろなものが見えてくる。
そちらを掘り下げるとディープな話になるので、また別に書くとして、それらを考えながら、最近至った答えがある。
それは、「人間は、デザインするサルである」ということ。
そもそもデザインとは何か?
世の中にモノが溢れているのに、なぜ人はデザインし続けるのか??
それは、既存のものを「もっと良く出来るのではないか?」という心が、うずいてうずいて仕方ないからだ。
このコップ、もっと持ちやすくならないかなあ?
から
あの機械を、もっと効率よく改良しよう、まで。
世の中は「改良」のモチベーションに溢れている。
今までのものより、もっと良く、もっと快適に。
「リデザイン」することこそ、デザインの本質なのではないだろうか!?
人間のフォーマット自体は、ホモサピエンス自体が完成した時からずーっと変わっていないという話がある。
例えば、縄文人の赤ん坊を現代に連れてきて育てたら、全く他の子供と変わりなく過ごせるという話もある。
今まで人類が進化しているように見えるのは、人間のフォーマットが進化したからではない。道具が進化したのだ。
そして、道具を進化させるモチベーションを持つかどうかが、サルと人間の違いではないだろうか!?
サルは木の棒でアリを取ってたべる。
そこから先、もっと何かないか!?と改良する、そこに創造力をめぐらせる。それこそが、人間を人間たらしめているものではないのだろうか。
チンパンジーと人間の遺伝子は、99%同じだと言う話がある。その残り1%に、「デザイン」がつまっている。きっとそうなのだ。
2008.10.01 Wednesday
大いなる「縛り」のもとに
まずは重力
そして光の加減
空気の具合
雨
見えない大きな、どうしようもない縛りのもとに、僕らの生活はデザインされていく。
どうしようもないことだけに、無い事にしてしまいたくなるが、これを無視するとどうしようもないことになるのではないか。
ギリシャ建築は、あの日差しあってのものだし、
日本の建築は、この湿り気あってのものなのだ。
グローバル化が叫ばれる世の中、
この大いなる縛りを忘れたまま海を渡ると、大変なことになるんだろうな。
2008.05.26 Monday
何故、デザインするのか
デザインとは?
何故、人はデザインを欲するのだろう。
まず、「デザイン」という言葉にはいろいろな意味が含まれているので、それを分解しなければならない。
辞書的に意味を調べると、デザイン=設計であるが、
昨今例えば「デザイン家電」なんかの意味で使われる「デザイン」は
これとはいささか意味が違うようだ。
僕はデザインと言う言葉には大きくわけて2方向あると思う。
「構築」と「創造」である。
そしてどちらもゴール(答え)は「市場」にあり、自分ではない。
ゴールを自分に設定すると、それは「アート」である。
「構築」方向の代表例は、例えば建築や、グラフィックデザインなどであろう。ある目的があって、その目的に至るための「最良の道を構築する」こと。
ここで私情を挟むと、話がややこしくなる。あくまで答えは自分以外にあるのだ。
「創造」方向でいうと、新しいプロダクツ、技術などを提案することだろうか。技術の開発も立派なデザインだし、それに伴うプロダクトの設計はもちろんデザインである。(携帯電話などなど)。
この場合、「構築」のときに先に設定していた「目的」という明確なものはスタート時には無いといっていい。
この場合のそれは、何かを作ろうというモチベーションなのかもしれない。
ビジネスそのものの動機にあたるかもしれない。
「世の中で最初、というのを狙って大もうけしよう」
「まずは話題づくりだ」
いろいろな理由が思いつくが、
僕が最近思い至ったことは
「人類を飽きさせないための行動」がデザイン(創造方面)である。
人間は、どうやら現状にすぐ飽きてしまう性質のようだ。
「発展」という言葉が大好きで、何がしかのことが前に進んでいかないと満足しない。
それはきっと、創造力豊かな脳みそのせいであり、それが「動物」というくくりにおいて必ずしも良い事であるかどうかは置いておくとしても、
ともかく人間は飽きやすいし、発展を求める。そしてきっと、それを止めると人類自体が終わりになってしまう、というような恐怖心さえ持っている。
その心を満足させる為にも、いつでも「新しいもの」「刺激のあるもの」が必要なのだ。
動物を見ていると、「何故そんな無駄な行為を??」と不思議な行動をするものも多いが、動物からみれば人間もそうなのだ。
「発展=正義」という考え方はもう、魂の、遺伝子の叫びなのだ。
僕らが毎日デザインし続けるのは、目の前のお金のためでも、生活をもっと便利に、という「不足を補う」だけの行為ではない。
発展しろ、前に進め、と叫ぶ、遺伝子に突き動かされた衝動なのだ。
*その衝動は、市場の衝動であり、自分個人のものではないことに注意
2008.02.26 Tuesday
ストレス
ストレスは日々受けるもの。
それを回避する方法は2つ。
ストレスから逃げるか、
ストレスに慣れてしまうか。
初めてぶつかった時はストレスを感じたものも、
何度かぶつかるうちにそうでもなくなってくる。
そして、もっと大きな、次に目指すべき壁が見えてくる。
それを人は、成長と呼ぶんですな。
2007.12.05 Wednesday
やりたいこと
会社で、やりたいことがやれない、といって
悩むという話がありますが
そもそも会社って、
やりたい事がやれる場所なんだろうか?
仕事をとってきてもらって、
給料ももらって、
そのうえ好きな事ができる、なんて
そんな虫のいい話ってあるんだろうか?
そもそも、そのやりたいことってのは
なんなんだろうか?
きっとたいていは「なんとなく今しんどい」
を言い換えただけのような気がしてならない。
会社内に、「自分のやりたいこと」は転がってはいない。
可能性があるとすれば、「嫌いなことでも好きになってみようかな」という前向きな気持ちを持って、いつか本当にそれが好きになってしまう、という状況だろうか。
本当にわがままに、自分のやりたい事をやるのであれば、就職なんかせず、自分で仕事をおこせばよろしい。
その勇気がないなら、文句をいう資格すら無い。
2007.10.06 Saturday
初体験
ビジネス、恋愛、行き方。
人類の歴史には、様々な「How To」が積み上げられている。
その量が年々増えていくわけだから、
みんな「やりかた」がわかってきて、
社会は安定していくのではないか?
心がみんなだんだん平穏になっていくのではないか?
と思うとそうでもない。
便利にこそなったが、
人間の心の部分は、いつまでたっても変わらない。
いつまでたっても、恋愛なり、仕事の人間関係なりに悩む。
何故か。
人間、自分が体験したことが、
一番身にしみる。
次の行動の参考に出来る。
他の人の意見を、それを体験することなく
まるまる自分のものにすることは、できないのだ。
人生は一回
つまり、みんな人間をやるのは初めて。
初めての高校生、初めての社会人、初めての70才、初めてだらけ。
結局、みんな初体験をくりかえしながら、
体験を積み上げて行くしかない。
いつまでたってもういういしい自分が、みんなが、
社会を安定させることなどさせないのだ。
2007.10.04 Thursday
自信
自信がないので、まだ出来ません。
よく聞く言葉だが、
では、いつになったら自信がつくのか?
この人には、いまでたっても自信はつかない。
なぜなら、自信とは、
耳や目で見た情報からではなく、
体験から得るものだからである。
自分の信念において行動してみて、
そして成功した!
その体験こそが自信を生み、次の行動を
強くして行くのだ。
闇雲に行動するというのも関心できることではないが、
机にかじりついていても、絶対に自信は得られない。
2007.10.03 Wednesday
直感
直感の精度は、様々なことを知っている人ほど高い。
知識や体験のない人の直感は、
単なるヤマ感。50/50の世界に過ぎない。
2007.10.03 Wednesday
ビジネスの質感
そこに自分の責任があり、
自分の血が通って、
そしてその塊が人を動かし、お金を動かし、
巡り巡って自分を生かすことになる。
どんなビジネスであれ、
どんな立場であれ、
その「質感」を感じながら出来るかどうかが大事である。
お金はもらうもの。
労働は捧げるもの。
そんな考えからは、
決してビジネスの質感を感じる事はできない。
質感を感じるということ、
つまりリアルに自分のものとして感じる事が
できるからこそ、
それを自分が育てよう、守ろうという
「責任感」が自らの心から芽生えるのである。